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【上田比呂志×IIA】インタビュー後半 人生のどん底でも「自分が自分の親友」であれ。苦しみをエンタメに変える最強の思考法

上田比呂志さんへのインタビュー後編をお届けします。

挫折したとき、
人はどこで踏みとどまれるのか。

誰かに支えられることもある。
でも最後に自分を支えるのは、
「自分を信じられるかどうか」なのかもしれません。

前編では、
ディズニーでのキャリアを志した原点や、
世界を舞台に働く中で培われた価値観、
そして親の介護をきっかけに
人生の大きな決断を下した経験について

語っていただきました。

後編では、
介護という困難な経験の中で見えてきた人生観や、
コーチとしての活動につながった思考、
そして若い世代に伝えたい「成長の哲学」に迫ります。

・苦しい経験を「宝物」に変える視点
・「苦を楽しむ」という力
・本物と出会い、道を切り拓くための選択
・「自分が自分の親友である」という生き方
・人生を支える個人哲学

挫折や迷いの中で、どう自分を信じ続けるのか。
上田さんの言葉には、そのヒントが詰まっています。

※本記事は前後編構成です。
まだ前編をご覧になっていない方は、ぜひあわせてお読みください。

上田比呂志 さん

おもてなし教育の実践者。
元グアム三越社長、フロリダ・ディズニーワールド エプコットセンター日本館ディレクターを歴任。
三越やディズニーでの経験をもとに、企業研修や講演を通じて人材育成とホスピタリティの本質を伝えている。
現在は「大人の寺子屋 縁かいな」「智慧の場」を主宰し、日本文化に根ざした感性教育と次世代リーダーの育成に取り組んでいる。

人生のどん底でも「自分が自分の親友」であれ。苦しみをエンタメに変える最強の思考法

 

— 上田さんは国内外でご活躍されてきましたが、人生における大きな決断というと、どのようなものがあったのでしょうか。

 

上田比呂志さん
人生はたぶん、決断の連続だと思うんです。

特にリーダーや、
私のようにマネジメントをしてきた立場にとっては、
決断というのは一番大事なキーワードになってきます。

私自身の人生で大きかった決断は、
二つほどあります。

まず一つは、私が三越という企業に入社したことです。
1982年のことでした。

なぜ三越だったのかというと、
もともと実家が老舗の料亭をやっていて、
「人を楽しませる」ことを身近に見て育ったからです。

子どもの頃から、
人を楽しませることをやりたいという思いがありました。

そんな中で、当時テレビで放送されていた
ディズニーチャンネルを見たんです。

ダンボやバンビといった初期のディズニー作品が
まだ白黒で放送されていた時代でしたが、
放送前に、ウォルト・ディズニー本人が五分ほど語るんです。

アニメーションが始まる前に作者本人が語るというのは、
あまりないですよね。

その語りが本当に面白くて
私はそこに強く惹かれました。

「こういう発想で作品を作っているんだ」
「こういうディズニーワールドを作ろうとしているんだ」と。

日本にはまだディズニーがない時代でしたから、
本当に夢のような話に感じました。

これが実現したらすごいだろうな、と。
ぜひアメリカに行って、
その世界を見てみたい
と思ったんです。

 

— ディズニーの世界と、ご実家の料亭での体験が、どこか重なっていたんですね。

 

うちの料亭も、
「大人の夜のディズニーランド」のようなものでした。
芸者さんがパフォーマンスをして、お客様を楽しませる。

だから私は、「人を楽しませる」ということの
本質を知りたい
と思ったんです。

料亭だって、さまざまな仕組みや役割があります。

女将さんや板前さん、芸者さんなど、
いろいろな人たちがチームになって、
一つのお座敷という場を作り上げているわけです。

そう考えると、
ディズニーは世界中の人を楽しませようとしている。
この規模でそれを実現しようとしている。

その世界を自分の目で見てみたいと思いました。

そこで、どうすれば行けるのかと調べていたところ、
三越がディズニーと提携して
研修制度を取り入れることを知ったんです。
しかも、私が入社する年から始まる制度でした。

これはもう運命だと思って。

ディズニーに行くために三越に入った、
と言ってもいいくらいです。

 

— 何かをしたいと思ったとき、正面突破だけではなく、そこへたどり着くための別の道も探されたということですね。

 

上田比呂志さん
もちろんです。

そのゴールに行くためにどうすればいいのか、
いろいろ考えるわけですよね。

当時はまだインターネットもない時代でしたから、
自分で調べながら進むしかありませんでした。

三越を見つけたのは偶然でした。
その中で、自分がずっと温めてきた思いに対して、
チャンスがあるかもしれない
と思ったんです。

実際にはいろいろな面接があって、
四回落ちました。

五回目でようやく受かって
ディズニー大学に行くことができたんです。

それがなければ、今の自分はありません。

 

— 大きな挑戦という意味での一つの決断だったのですね。

 

上田比呂志さん
まさに挑戦でしたね。

当時は、日本にまだディズニーがない時代でしたから、
「アメリカのディズニーに行きたい」と言っても、
周りは「何を言っているんだ」という反応でした。

今でも簡単なことではないと思いますが、
あの時代は本当に、
道を切り拓くような挑戦だったと思います。

もう一つ大きな決断は、
その後ディズニーから一度日本に戻り、
再びディズニーに戻ることを目指して、
三越の中でスキルアップしていったことです。

さまざまなことに挑戦し続ける日々でしたが、
2004年に、今度は日本側の責任者としてディズニーに戻ることになります。

つまり私は、ディズニーで一番下の研修生と、
一番トップの両方を経験している
んですね。

そこまで憧れて、ようやくたどり着いたディズニーを、
今度は自分の意思で離れなければならなくなる
そこもまた、大きな決断でした。

 

— 戻らざるを得なくなる、というのは。

 

上田比呂志さん
親の介護です。

アメリカにいると、なかなか介護はできませんよね。
自分には夢もありました。

でも、将来、自分が年を取って人生の最後を迎えるとき、
どちらが後悔しない選択だろうかと考えたんです。

そうすると、親の最期に立ち会えなかったら、
それはきっと、どんなに夢を叶えたとしても
一生悔いが残るのではないかと思いました。

そう考えて帰国を決断しました。

ただ、帰国するということは、
ディズニーを辞めるということでもあります。

当時は240人をマネジメントしていましたが、
それがゼロになる。
年収もなくなり、すべてがゼロからのスタートでした。

 

— ご自身で選ばれたとはいえ、180度違う生活ですよね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

しかも、
何か当てがあって戻ったわけではありませんでした。

料亭の息子でしたので、
居酒屋でも開こうかと考えたこともあります。

実際、そういう学校にも通いました。
ただ、それをやり始めると介護ができないなと思って、
冷静に考え直しました。

当時は45歳でしたから、
「これから何をしようか」と考えるわけです。

しかも、ディズニーまで行ってしまうと、
それを超えるものがなかなか見つからないんですよ。
自分の中で火がつくものが。

 

— 世界のトップを見てこられたからこそ、なおさらですね。

 

上田比呂志さん
そうなんです。

でも現実には、親の介護をしながら、
短パンにTシャツで走り回っているわけです。

そうすると、ボロボロ涙が出てくるんです。
自分は何をやっているんだろう」と。

悲しいわけでもないのに、涙が出てくる。
ちょっと介護うつのような状態でした。

あまりにも落差がありすぎて、
頭では理解できても、心が受け入れられなかったんです。

自分で決断したことだから思考では分かる。
でも心が追いつかない

 

— その状態からどうやって脱したのでしょうか?

 

上田比呂志さん
このままではダメになると思って、
外に出ていろいろな交流会に行くようにしました。

最初は、それすらなかなかできなかったんですけどね。

その中で思ったのは、
これだけの決断をしたんだから、
この決断が間違いではなかったと思える人生にしよう
ということでした。

地位も名誉も手放して帰ってきたわけですから、
この選択が間違いだったとは思いたくなかった。

自分の決断は間違いじゃなかった、
そう思える人生を送りたいと思いました。

自分の言葉に、自分で責任を持とうと。

 

— 自分で自分を幸せにする覚悟を持たれた、ということですね。

 

上田比呂志さん
そうです。

自分が決断したわけですから。
でないと、自分がかわいそうじゃないですか。

 

— でも、弱っていると、誰かのせいにしたくなることもありますよね。

 

上田比呂志さん
それもありましたよ。
親を恨んだり、喧嘩したりもしました。

でも結局、最後に決断したのは自分ですから。

ここまでやってきたことを、
何かに生かしたいと思いましたし、
無駄ではなかったと思いたかった。

そんな中でコーチングに出会うわけです。
これならできるかもしれない」と思いました。

家でもできますし、
それまでやってきた人材育成のキャリアも生かせる。
現場で実践してきた経験もありますから。

そう思って、47歳からコーチングを学び始めました。

 

— コーチングを学ばれたんですね。

 

上田比呂志さん
そうです。

周りは若い人ばかりで、
おじさんが一人混じっているような感じでしたけど、
もう必死でした。

これは、自分が決断したことを
正解にするための武器
だと思っていましたから、
他の人より必死に取り組んだと思います。

その結果、すぐにクライアントがついて、
あっという間に何十名ものクライアントを持つようになりました。

 

— それまでの三越やディズニーでの経験もあると思いますが、その苦しい時期を経験されたことが、よりクライアントに寄り添えるコーチになれたことにもつながったのでしょうか。

 

上田比呂志さん
そうだと思います。

やっぱり「引き出し」なんですよね。

苦しいことって誰しもあると思うのですが、
その苦しい経験が誰かのためになったときに、
「宝物」になる
んです。

苦しかったことが、誰かの役に立った瞬間、
すべてが意味を持ち始める

オセロで、ずっと黒だったものが、
両端を決めた瞬間にパッと白に変わる、
ああいう感じです。

私にとっても、
苦しかった経験がコーチングの道につながり、
本を書くことにつながり、
講演活動にもつながっていきました。

もし一介のサラリーマンのままだったら、
本を出すとか、講演をするなんてことは
考えてもいなかったと思います。

でも、時代の流れの中で、
そういう役割をいただくようになった。

話しているのは自分の体験や経験ですが、
それが全部、宝物になったんだなと思いました。

 

— その経験があったからこそ、クライアントに限らず、いろいろな人の選択を応援できるコーチになったのかもしれませんね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

プロ野球選手のメンタルトレーナーをしたり、
お笑いの世界の人と関わったり、
職種に関係なく、

人が生きること、
夢に向かって挑戦すること、
そうしたチャレンジを応援することが、
自分の役割
なのだと思っています。

 

— でも、そこまで築いてきたキャリアを手放すというのは、聞いているだけでも胸が詰まります。

 

上田比呂志さん
そんな中で一つ救われた経験があって。

父が脊髄損傷で下半身不随になり、
最後は寝たきりになったんです。

父はとても頑固な人だったので、
もともとは父のSOSで帰ってきたとはいえ、
正直なところ半分は恨んでいました。

父があんなことにならなかったら、
自分は今こんな状況じゃなかったのに

そんな悔しさもあったんです。

寝たきりでも、喧嘩はするんですよ。
頭はしっかりしていますからね。

介護を経験された方なら分かると思いますが、
つい言い過ぎてしまうことがある。
そして後になって、自分に腹が立って落ち込むんです。

でも、父が亡くなる直前に、こう言ったんです。

「ひろし、悪かったな。
お前の人生もそうやって帰ってこさせてしまって。
でもな、俺はいい女房と息子を持って幸せだった。
人生、何も悔いはない」

その言葉に救われました。
それが宝物になりました。

父にそう言ってもらえたなら、
自分の決断は間違っていなかった。
よし、頑張ろう
と思えました。

 

— その言葉で、すべてが報われたんですね。

 

上田比呂志さん
そうです。

だからこそ、
私は言葉を扱う仕事をするようになったのだと思います。

『日本人にしかできない気づかいの習慣』という本も、
お陰様で多くの方に手に取っていただきましたが、
実はあれは3.11のあった年に出版されたんです。

もともと本を書くつもりはまったくなかったんですが、
名刺交換していた編集者の方から、

「今、日本はとても苦しい状況ですよね。
多くの人が心を閉ざしています。
そういう中で“気遣い”というテーマで
書ける作家を探している
んです。
上田先生、書いてもらえませんか」

と言われたんです。

最初は、「本なんて書けるだろうか」と思いました。

でも、自分自身も言葉によって救われたり、
傷ついたりしてきた経験があります。

だからこそ、その体験を書いてみようと思ったんです。

言葉でボランティアをさせていただこう
という気持ちでした。

そうして本を書いたところ、
本当に多くの方に手に取っていただきました。

そこから全国各地で
講演の依頼をいただくようになりました。

そのとき改めて思ったんです。
言葉には大きな力があるんだなと。

 

— 大変な介護の渦中でありながら、その経験が宝物になり、第二の人生が開かれていったのですね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

ただ、現実はダブル介護でした。
父がそういう状態になり、母は心筋梗塞で倒れて、
自宅介護になりました。

両親が同時に介護状態になってしまったので、
かなりきつかったですね。

それでも父を看取り、
その後に本が出版され、
介護をしながら全国を回る生活になりました。

弟にも協力してもらい、
デイサービスの方にも助けていただきながら、
すべてのスケジュールを自分で組んでいました。

私は組織にいたので、
ケアマネージャーがやるようなことを
全部自分でシフトにしてしまうんです。

「この時間は自分が担当」
「ここは弟」
「来月はこの体制でいきましょう」

といった形でシフト会議をして、関係者に配る。

そういう意味では、
企業での組織マネジメントの経験が、
そのまま介護にも生きてきた
んだと思います。

 

— 企業での経験が介護に生きるなんて、普通はあまり想像しませんよね。

 

上田比呂志さん
本当にそうですよね。
でも、実際にはそうだったんです。

ただ、自分自身はかなりボロボロでした。

ぎっくり腰になったりもしましたし、
母は晩年、透析を受けていたので
週に三回は病院へ連れて行かなければなりませんでした。

送り迎えもありますから、本当に大変でした。

さらに、自分自身も心房細動という病気で
手術を受けることになったんです。

講演と講演の合間に手術をするしかなくて、
そのときしか時間が取れなかったんですね。

仙台で講演をして、
その一週間後に広島で講演がある。
その間に手術を入れてもらって、
退院した翌日には広島へ飛ぶ、
というようなこともありました。

当時は母の介護をしながら、
本が売れて講演依頼が全国から来ていた
ピークの時だったので、
本当にそういう毎日でした。

 

— 制限があるからこそ、人は工夫したり、知恵を出したりするのかもしれませんね。

 

上田比呂志さん
そうなんですよ。

そういう意味では、
これまでの経験の引き出しが生きてくるんですよね。

それに、二年間ほど介護うつのようになって、
何もない苦しい時期を経験したからこそ、
忙しくても全国から講演の依頼をいただけることが
本当にありがたく、幸せだと感じられたんです。

本にも書いたんですが、
苦しいことって絶対あるんですよ。

楽しいことだけの人生なんて、あり得ません。

でもね、「苦」を「楽」に
変えることはできる
と思うんです。

苦しいと思うなら、いっそ苦を楽しむ。
「苦を楽しむ」って「楽苦」でしょう。

私自身がそうでした。

今は大変で苦しい。
でも、これも楽しんでしまおうと。

私はエンターテインメントの世界で
生きてきた人間ですから、
何でもそちらの方向にベクトルを振るんです。

無理やりでも楽しんでしまう。

 

— 映画だと思えば、主人公が頑張る場面は一番盛り上がるところですものね。

 

上田比呂志さん
人生を振り返ると、
苦しさがあったからこそ、
楽しさやありがたさを感じられる
んだと思います。

陽が照って、雨の恵みを知り、
雨が降って、火の暖かさを知る。

反対のものがあるからこそ、
その価値が分かるんですよね。

仕事もあって介護もあって、
本当に大変だった時期がありました。

でも今振り返ると、
「あの時は本当に苦しかったな」と思う一方で、
それを思うと、今こうして忙しくしていられることは
大変だけど楽しいなと感じられるんです。

 

— 春がうれしいのは寒い冬があるからで、もし一年中春だったら、その喜びも生まれませんよね。

 

上田比呂志さん
誰かの歌にも「愛を知るために孤独がある」
というフレーズがありますが、
まさにそういうことだと思います。

 

— 若いうちの苦労は買ってでもしろ、という考え方にもつながりそうですね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

若い方たちにあえて言いたいのは、
若いうちに汗をちゃんと流しておかないと、
年を取ってからそれが涙に変わる
、ということです。

若いうちはエネルギーもありますし、前向きにもなれる。
だからこそ、苦労して汗をかくことができる。

でも、若いうちに楽をしてしまうと、
年を取ってから本当に涙を流すことになってしまう。

 

— 親としては、つい子どもに苦労をさせたくなくて先回りしてしまいがちですが、若いうちに手を出しすぎてはいけないのかもしれませんね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

私の場合は少し特殊で、
母が料亭の女将だったので、とても厳しく育てられました。

作法や礼儀にも厳しかったですし、
普通の家庭よりずっと厳しかったと思います。

子どもの頃から店の手伝いもしていました。

芸者さんたちも多く出入りしていましたが、
学歴がなくても生きていくために、
おもてなしの世界で懸命に働いている人たちでした。

その生きざまは、
本当に半端ではありませんでした。

そういう人たちを、私は小さい頃から見てきたんです。

ちょっと普通の環境とは違ったと思います。
小学生の頃には、もうお燗をつける手伝いをしていました。

 

— 子どもとしてではなく、一人の人として扱われていたんでしょうね。

 

上田比呂志さん
おっしゃる通りです。

試験勉強があるから手伝わなくていい、
なんて言われたことはありませんでした。

小学生の頃から、
お燗つけの前に勉強をしていました。

当時は高度経済成長期で、みんなが働く時代でした。
「お前もこれで食っているんだから、
自分なりに働け」という感覚だったんでしょうね。

でも、その代わり、仕事が終わった後には
芸者さんたちも集まって宴会が始まるんです。

毎日のようにイベントがあるような環境でした。

その光景を見ていて、
人を楽しませる仕事っていいな
と思うようになりました。

やはり、子どもの頃のそういった経験は
大きかった
と思います。

生きるとはどういうことなのか。
生きざまとは何か。

そういうことを、教わったというよりも、
身近な芸者さんや板前さんたちの姿を通して、
「在り方」として見せてもらっていたのだと思います。

 

— 親や大人がどれだけ子どもに背中を見せられるかというのは、教育において本当に大事ですね。

 

上田比呂志さん
だから私は、
本物と付き合ってほしいと思うんです。

三越にも、匠の方々がたくさんいましたが、
私は意識して、本物の人と付き合うようにしていました。

 

— 本物かどうかを見極めるには、たくさん本物を見れば分かるようになるとおっしゃっていましたが、最初の本物はどうやって見つければいいのでしょうか。

 

上田比呂志さん
やはり、自分にとって憧れる人ですね。

「こういう人になりたい」と思える人

逆に言えば、私はリーダーの方々に、
「あなた自身が、
人として憧れられるリーダーになってください」
とよくお伝えしています。

私は小さい頃からそういう世界で育ってきたので、
人を見る目はかなり鍛えられていたと思います。

だから、「こういう人になりたい」と思える人に
自分からアプローチして、できるだけ一緒に
仕事をさせてもらうようにしてきました。

それが、結果として
ディズニーの道にもつながっていくと思っていました。

挑戦していくには、
ワクワクする気持ちももちろん大切ですが、
それだけではなく戦略も必要です。

そこに至るまでに、
どんな経験を積み重ねていくか
がとても重要なんです。

最初は「憧れの人」から始まり、
そこから本物を見つけていく
のだと思います。

 

— 挫折したとき、そのまま腐らずにいられたのは、何が支えになったのでしょうか。

 

上田比呂志さん
最初からそうできたわけではありません。

いろいろな人をお手本にしてきました。

でも、一番大きかったのは、
自分を諦めなかったことですね。

自分が自分の親友であり続けることです。

自分が自分を諦めてしまったら、
もう終わりじゃないですか。

だから、自分を信頼してあげる。
自分を信じてあげる。

そのためには、
信じられる自分でいられるように、
自分を磨き続ける

その循環を作っていくしかないのだと思います。

 

— 自分のことが嫌いだと言うなら、じゃあ好きになれる自分になればいい。シンプルに言えば、そういうことですよね。

 

上田比呂志さん
そうですね。

私は人との関係ももちろん大切にしてきましたが、
「個」である時間、自分を見つめる時間
とても大事にしてきました。

今でも、高野山にこもることがあります。

普段は人が多い環境で仕事をしていますから、
あえて一人になる時間を作るんです。

その時間の中で、自分を見つめ直します。

自分が、自分で信頼できる人間でいられているかどうかを
問い直す
時間ですね。

 

— 寂しいとき、つまずいたとき、すぐ誰かとつながりたくなってしまうこともありますよね。

 

上田比呂志さん
もちろん、誰かにSOSを出すことはとても大事です。

私はコーチという仕事をしていますし、
これまで本当にギリギリの状態にある方を
助けてきたこともあります。

だから、本当に苦しいときは
誰かに頼った方がいいと思います。

ただ、通常の自分でいられる状態で、
自分を磨こうとしているときには、
自分で見つめる時間が大事だと思います。

本当に苦しい時は頼った方がいいです。
そこは臨機応変ですね。
状況に応じてです。

 

— 最後に、これから挑戦していく若い方たちに向けて、これだけは覚えておいてほしいという言葉をお願いできますか。

 

上田比呂志さん
成長とは「諦めない気持ち」だと思います。

自分が自分を諦めた瞬間に、成長は止まってしまいます。
いかに諦めないか、そこが大切です。

そのためには、
自分なりの生きざまの哲学を持つことが
大事だと思います。

リーダーの方々にもよくお話しするのですが、
企業には企業理念がありますよね。

その理念を軸にして、
良い会社はチームを作り、成果を上げていきます。

それと同じように、自分の人生にも
パーソナル・フィロソフィー(個人哲学)
を持つことです。

それを軸にして人生にチャレンジしていくと、
ぶれずに進んでいけると思います。

ちなみに、私の哲学は三つあります。

「共に喜び、共に笑う」
「執着を手放す」
「誠を尽くす」です。

ここに外れる生き方はしないと決めています。

そういう軸を持って生きていくと、
すごく世界が開けてくる
と思います。

 

— ありがとうございました。

 

上田比呂志さん
ありがとうございました。

 

 

上田比呂志さん プロフィール

東京都出身。
三越に入社後、接客や人材育成の現場を経験。
その後、グアム三越社長兼ティファニーブティック支配人を務める。
さらにアメリカ・フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド
エプコットセンター日本館ディレクター取締役として、
世界中から訪れるゲストに日本文化とおもてなしを届ける現場を担った。
帰国後は、企業研修講師・講演家として活動。
ホスピタリティ、人材育成、リーダーシップをテーマに
国内外の企業・教育機関で講演や研修を行っている。
現在は、大人の心と感性を磨く場「大人の寺子屋 縁かいな」
感性を磨く非日常空間「智慧の場」を主宰。
日本文化に根ざした「不易流行」「守破離」の思想を軸に、
おもてなしの本質と人の在り方を伝え続けている。