【田中希実×IIA】インタビュー前半「孤独と自信。世界と戦うために日本人が捨てるべき「理屈」とは
世界に挑む人たちの言葉は、
いつも「成功法則」や「再現性」の形で語られがちです。
けれど、Inspire Intelligence Academy(IIA)が
本当に届けたいのは、結果の裏側にある
揺らぎや迷い、言語化されにくい感覚 です。
世界で戦うということは、
自信を積み上げることと同時に、
これまで拠り所にしてきた価値観や安心を、
一つずつ問い直していく過程でもあります。
今回お話を伺ったのは、
陸上・中長距離という極めて個人的な競技で、
長く世界のトップレベルと向き合い続けてきた
田中希実選手です。
このインタビューで語られているのは、
「どうすれば勝てるか」ではありません。
・なぜ走り続けてこられたのか
・なぜ“好き”である必要はなかったのか
・なぜ、恵まれた環境の中で孤独を感じるのか
・そして、世界に出たからこそ突きつけられた
「自分一人でも大丈夫なのか」という問い
それらは、トップアスリートに限らず、
好きなことを仕事にしたい人
肩書きや成果に自分を預けてきた人
次のステージに進みたいのに、どこか踏み切れない人
すべてに共通する問いでもあります。
「好き」を仕事にすることへの独自の捉え方や、
完璧を求めすぎない「緩さ」がもたらした強さ。
田中選手の静かな言葉の中から、
競技に限らず、自分らしく在り続けるためのヒントを探ります。

田中 希実 選手
日本女子中長距離ランナー
オリンピック、世界陸上に出場。
1500m、5000mで日本記録を保持し、
日本陸上界を代表する存在として
世界の舞台で戦い続けている。
孤独と自信。世界と戦うために日本人が捨てるべき「理屈」とは

— スポーツ選手に限らず、「好きなことを仕事にしたい」と考える人は多いと思います。
田中選手は今、ジュニアの憧れであるプロとして活動されていますが、好きなことを仕事にしている今も、走ることを「好き」「楽しい」と感じていますか?
田中希実選手
私の場合、幼い頃から走ってはいたんですけど、
その時点で「好き」という感情は特になくて。
得意なことだったのと、別に苦にもならなかったので、
ずっと走っていた、という部分があります。
もちろん勝ちたい気持ちもあったんですけど、
いろいろな要素が重なって、
「とりあえず走っていた」という感じでした。
中学の部活から始まって、
やっと競技として認識したんですけど。
ずっと走ることが好き、というよりは、
部活の仲間に会えたり、一緒に楽しく走ったり。
練習の中で遊びも入れながらやることが楽しかった。
そういう「人とのつながり」を、走りを通して
持てることがうれしくて、という方が強かったです。
それが、気づいたら職業になっていた。
そんな感じです。
とにかく、何事も続けることがまず大事だとは思います。
好きなことは確かに続けやすいと思うんですけど、
好きじゃなくても、知らないけどやってしまうとか、
思わずやってしまうとか。
日課みたいにやってしまうことも、
「続けていて苦にならないこと」の一つではあると思うので。
だから、好きである必要は
特にないんじゃないかな、と思います。
— 苦にならずに続けられたことが、ここまでにつながった。その背景には、どんなことがあったのでしょうか。
田中希実選手
まず一つは、負けず嫌いな気持ちというか、
性格的な部分です。
勝てないことの方が多かったので、
だからこそ続いてきたんじゃないかな、
というのが一つあります。
もう一つは、家庭環境ですね。
両親ともに陸上関係者だったので、
求めれば適切なアドバイスが
すぐ手に届くところに常にあった。
だから、競技を続ける上でのストレスが
あまりなかったというか、
続けやすい環境自体があった方かなと思います。
いろんな要素があったんじゃないかな、と思います。
— 親御さんにアドバイスをもらえることが、ストレスの少なさにもつながった、と。一方で、同じ競技をしている親が、子どもに必要以上に夢を託してしまったり、プレッシャーをかけてしまったりして、親子関係が難しくなるジュニア選手も多いと思います。
そういったストレスはなかったのでしょうか。
田中希実選手
私自身が、親から「陸上をやってほしい」と
言われたり思われたり、ということはあまりなくて。
競技で力をつけるにつれて、
世間的にも家庭環境や親子関係が
どんどん知られるようになっていったし、
昔から地元の方では知られていたので、
「親がやらせているんじゃないか」という
印象は持たれがちだったんですけど…。
親としてはむしろ
「陸上はあまりやらないでほしい」
ぐらいの感じだったと思います。
私自身、兵庫は陸上のクラブがたくさんあって強いので、
子どもでも地元のロードレースで勝てないことが多くて。
それが悔しくて、勝手に自分で
自主練みたいに走っていた時期もありました。
「勝たないといけない」と思ってやったというより、
自主練していても「追い込む」というより、
とりあえず日課みたいにジョグしていた。
鍛錬というより
「走っておけば、いつか勝てるかな」ぐらいの、
かなり緩い感じでやっていました。
中学で部活に入ってからも、
顧問の先生に基本的に親は任せていて。
高校もそうだったんですけど、
そこからだんだん「競技」という面で自分でも
意識するようになった、というだけで。
中学の先生もかなり緩い顧問の先生だったので、
師弟関係だったり親子関係だったりで、
競技の面ですごくバチバチの熱血指導みたいなのは、
実際あまり経験したことがないかな、という感じです。
— 「緩い」とおっしゃいましたが、世界のトップ選手です。その淡々と続けてこられた背景には、もしかすると「緩さ」が一つの鍵だったのでしょうか。
田中希実選手
私の中では、友達と遊ぶために部活に行っていた、
みたいなところがありました。
鍛錬をしに行くというより、遊びに行く、
というイメージが部活にはあったと思います。
父の仕事も陸上関係だったんですけど、
父のやってる体感(の場)に行けば、
市民ランナーの方たちが楽しそうに走っていたりして。
それをそばで見ているのが楽しかったり。
母は毎年夏に、
マラソン合宿のために山に行くんですけど、
そこで家族みんなで行くのが、
自分にとっては家族旅行みたいなものだったんです。
私にとっては、ディズニーランドに行くより、
その山の方が好きだったので。
生まれ持った好みの問題もあるかもしれないですけど、
走りを取り巻く環境自体が、自分にとって楽しかったり、
好きだと思えるものだった。
だから、競技だけでやってるというよりは、
走りと向き合うとか自分と向き合うというよりも、
その中でいろんな人に出会えたり、
いろんなものを見れたりするのが楽しかった、
というのがあって。
それで続けて来れたのかな、と思います。
— 陸上ひと筋で世界の中で生きてこられた、という印象がありましたが、陸上を通して、逆に世界が広がった感覚でしょうか。
田中希実選手
性格的に、社交的な方ではないので、
自分から寄っていくことはあんまりないんですけど。
でも自然に、コミュニティの中に自分がいる、
みたいな状態が常にあったんです。
それが陸上を通してできた絆だったり、
家族以外のコミュニティだったり。
そういうものが常に傍らにあったので、
私にとっては「陸上をやってる」という
感覚ではなかったのかな、と思います。
—今は「自分の才能を知りたい」「子どもの才能を知りたい」と、早いうちに才能を見つけて伸ばしたいと考える人も多いと思います。田中選手は、部活も「記録を伸ばす」「勝つ」というより、友達と楽しい雰囲気で取り組まれていたところから、プロになり世界を目指すように意識が変わっていった。そのきっかけは何かあったのでしょうか。
田中希実選手
そうですね。
東京オリンピックの時も、
まさか入賞するとは自分でも思っていなかったんです。
その前も世界陸上に出たりはしていたんですけど、
そのあたりから少しずつ、「世界で戦いたい」
「世界大会でもちゃんと活躍したい」
という意識が芽生え始めた、という感じでした。
ただ、それも急に何かが変わったというより、
本当に徐々に、ですね。
世界大会に出るまでのところは、
「まず世界大会に出られたらいいな」
というモチベーションでした。
そこに出られるようになって、
初めて「その舞台で戦いたい」と思うようになった。
その時々で、少し先にある目標があって。
気づいたら今の立場として世界に目が向いていた、
という感じです。
世界に目を向ける前は、日本記録も出していない立場で、
「世界」と言っていられないという気持ちもありました。
だから、まずは日本記録を出す。
オリンピックでも入賞する。
そういう積み重ねの中で、ちょっとずつ、
という部分ですね。
—プロとしての道も、初めから目指していたというより、積み重ねの中で見えてきた、ということですか。
田中希実選手
そうですね。
プロでやっていく、クラブチームでやっていく、
という部分も、要素がいろいろあって
一言では言いづらいんですけど…。
本当は高校から実業団に行っても良かったんです。
ただ大学の頃は、高校の先生が、
もう一人の選手と一緒に私の指導もしたい、
という部分があって。
その形として可能だったのが、
クラブチームという形でした。
その時は、父に見てもらいたい、というより、
高校3年間、その先生の指導が自分に合っていたので、
環境を変えたくない気持ちが強かったんです。
だから自然と、その形になりました。
自分の可能性を広げたいとか、新しい世界を、
というよりは、逆の発想で。
「環境を変えたくない」という気持ちがかなり強くて、
大学はクラブチームで始まりました。
そこから大学2年ぐらいになって、
初めて父に見てもらい始めた、という形です。
— 一度実業団に入られてから、プロへ移行された流れも、同じように「流れの中で」という感覚でしたか。
田中希実選手
はい。
実業団からプロになる時も、いろいろあって、
その流れでそうなった、というところが大きいです。
自分から「プロになりたい」という気持ちが先にあった、
というよりも、いろんな選択肢がある中で
どうしようかな、と悩んでいる間に、
契約ごとに期間があったり、スポンサー同士の関係で
どちらも取れないという問題が出てきたりして。
結果的に、プロの道しか残されていなかった、
という部分がありました。
だから「結果を出さないといけない」という道に、
初めてなってしまった、という感覚もあります。
ただ、逆に発想を変えて。
本当の意味で、自分がやりたい道を、
自分がやりたいと思ったことをすぐ行動できる
身軽な立場になれた、と考えたんです。
4月を迎える頃には、
「本当に自分が希望して選んだ道です」と
自信を持てるようにはなっていたと思います。
—ご自身の意思で強く「ここへ行く」と決めたというより、素直に流れに乗りながら、気づいたら道ができていた。
田中希実選手
そうですね。
私の場合、目標が先にあって、そこに向かって一直線、
というよりは、流れに合わせて行動してきて、
自分に素直でいることで、気づいたら道ができていた、
ということの方が多かったです。
いろんなご縁の積み重なりで、
奇跡的に起きたことが多い、という感覚もあります。
ただ、「自分に素直でいること」と
「我を通すこと」の区別は、すごく難しいんですけど。
私は「我を通す」ということはあまりしてこなくて、
流れに任せてきた。
でも、その中で「素直な気持ち」だけは持って、
嫌なものは嫌、という気持ちもちゃんと持ちつつ。
それで今すぐ現状を変えようとするのではなく、
その気持ちを持ち続けることで、
いつか自分が望む方向に状況が変わっていることを、
祈るのみ、みたいな部分がありました。
タイムラグはあるんですけど、
気づいたら本当に自分が望んだようなことになっている、
ということの方が、どちらかというと多かったかなと思います。
— 今のお話を伺っていると、「ありのままでいること」と「我を通すこと」の違いについてお話しされていたのかな、と思いました。今これが嫌だな、と感じても待てる。その「待てる」という姿勢がとても印象的です。お若いのにすごいな、と思うのですが、その気持ちはどこから来るのでしょうか。
田中希実選手
私の場合、恵まれているなと思うのは、
常に家族が近くにいてくれる環境があった、
ということです。
だからこそ、失うことに対する恐れが、
あまり大きくならなかったのかなと思います。
一番大事なものが、ずっとそばにある、
という感覚がありました。
焦ることはもちろん多いです。
でも、根本的な焦りというか、
何もかもひっくり返してしまうほど我を失ってしまう、
というところまでは、
なんとか踏みとどまれてきたのかなと思います。
— 安全地帯がきちんとあって、土台がしっかりしているからこそ、その上でチャレンジができる、ということなのでしょうか。
田中希実選手
そうですね。
— 世界で活躍されている選手というと、最初から大きな目標を持って競技を始めた方ばかり、という印象もあります。今年から戦いの場を海外に移されたのも、やはり流れに乗って、という感覚なのでしょうか。
田中希実選手
今のところは、自由に海外に行ける環境がある、
ということも大きいです。
今年は東京世界陸上がありましたし、
その流れもありました。
世界の経験をたくさん積むことに価値がある年だな、
という感覚もありました。
コロナを経て、日本が遅れを取っていた
2年分くらいの差は、取り戻さないといけない、
という焦りも少しありました。
今年は、2年、3年と広がってしまった世界との溝を、
必死に埋めようとしていた年だったのかな、と思います。
— 日本にいると、日常からトップ選手として扱われると思いますが、海外に行くと一気にマイノリティになりますよね。その中で、辛さを感じることはありませんか。
田中希実選手
陸上の場合、日本では実業団というシステムがあるので、
環境としては恵まれている部分もあると思います。
私の場合も、コーチやトレーナーさんが
マンツーマンに近い形で関わってくれていて、
それは大きなメリットでもありますし、
日本では相手にプレッシャーを与える要素にもなっていると思います。
一方で、海外に出ると、
その感覚が逆転してしまうところがあって。
海外では、陸上は本当に個人競技で、
プロでも単独で活動している選手が多いんです。
そういった選手と比べると、
ハングリー精神という面で、差を感じることもあります。
私自身、たくさんのスタッフがついてくれていることを、
メリットとして受け取るよりも、
負い目に感じてしまうことがあって。
父とも話すんですけど、
「こんなに大勢で来ている人、他にいないよね」と、
恵まれすぎていることを、少し恥ずかしく感じてしまう部分もあります。
例えば、ダイヤモンドリーグのような海外の大会では、
連れて行けるスタッフの人数がかなり制限されています。
最低限の人数で、最悪一人でも戦いに行く、
というスタイルが主流です。
そういう環境に身を置くと、
そこが今の自分と海外の選手との差なのかな、
と感じることがあります。
— 日本ではスタッフが多いことが強みにもなり得るのに、海外では逆に見えてしまう。
田中希実選手
はい。
トレーナーさんに体を見てもらったり、
父と常に話し合いながらできること自体は、
すごく大きなメリットです。
ただ、その環境があることで、
理屈に凝り固まってしまうところが、
自分の弱さなのかな、と感じています。
海外の選手は、理屈じゃなくて、
どんな状況でも自分が覆す、
というようなメンタルを持っている。
しかもそれを、悲壮感ではなく、
本当にアニメのヒーローみたいに、やりきってしまう。
それを見るたびに、
「叶わないな」と感じてしまうこともありました。
今年は、海外をたくさん経験したことで、
戦う前に敗北感を感じてしまう、
ということを強く味わった年だったと思います。
— 世界陸上の前に、「頭のネジを外して全力で行く」という言葉を使われていましたよね。それだけ、考えてしまう部分がある、ということなのかなとも感じました。田中選手に限らず、日本人全体が理屈に走りやすいところがあるのかなとも思うのですが、海外選手の「理屈じゃない強さ」は、どこから来ていると感じますか。
田中希実選手
理屈じゃない自信を持っている、
というところかなと思います。
幼い頃って、根拠のない自信があるじゃないですか。
今すごく頑張らなくても、
「なんとかなるだろう」みたいな。
私も子どもの頃は、
そういう根拠のない自信があったと思います。
でも年齢が上がるにつれて、
その感覚を持ちにくくなっている部分がある。
海外の選手は、そういう純粋な部分を、
大人になっても持ち合わせているように感じます。
一方で、プロとしての厳しさもたくさん経験している。
だから、すごく大人な部分と、
子どものような純心な部分を、両方合わせ持っている。
そこが、彼らの強さなのかなと思います。
— 海外に行かれると、より強く感じられますか。不安や孤独といったものも。
田中希実選手
そうですね。
今年は、戦う前に敗北感を感じてしまう、
ということがありました。
無意識だったんですけど、
そういう感覚を味わっていた中で、
孤独を感じることが多かったです。
どこかで諦めている、というか。
海外の選手のような、
「一人でもやってのける」という感覚。
「自分一人でも大丈夫」という根本的な自信が、
失われている状態だったと思います。
他者に頼るようになるほど、逆に孤独を感じてしまう。
私の場合、父もいて、スタッフもいて、
孤独を感じる理由はどこにもないはずなのに、
心細さのようなものを感じていました。
— 戦う前に感じる敗北感。周囲のサポートがあっても、最終的には自分で切り開くしかない、という感覚でしょうか。
田中希実選手
「自分一人でも大丈夫」という自信さえあれば、
本当に最低限のものがあれば
安心していられると思うんです。
でも、今年はその感覚がなかった。
海外の選手は、単身で来ている選手も多くて、
「やるしかない」という排水の陣で来ている強さ、
怖さがあります。
それでも、そういう選手たちも、
「帰る場所がある」という安心感は
持っているんじゃないかな、と思いました。
陸上は自分のアイデンティティではあるけれど、
もし陸上がなかったとしても
「自分は自分」と思えている。
自分そのものに対する自信があるんだろうな、
というのは、すごく感じていました。
— 田中選手の場合は、陸上がご自身のアイデンティティの中心にある。
田中希実選手
そうですね。
うまく走れないと自信が持てない、という部分があったり、
陸上だけが、今のところ自分のアイデンティティだと
思っているところがあります。
だから、走る前から諦めのような感覚を抱いてしまって、
それが強い孤独感につながっていたのかな、と思います。
— 「自分一人でも大丈夫」という強さを、これから持ちたいと思われていると思います。それは、どうすれば手に入ると思いますか。
田中希実選手
今、いろいろ模索しているところではあります。
父から提案を受けることもあって、
「別の指導者に見てもらったらどうか」
と言われることも増えました。
私の中では、陸上と家族というものが、
本当にセットになっている感覚があります。
陸上を続ける上で、家族がいない、
という状態が、どうしても想像できない。
それはもう、
「家族がいない形は、自分にとっての陸上じゃない」
と思うくらいのところまで来ている感覚です。
だからこそ、もしその発想というか、
根本的な捉え方を変えたら、自分はどうなるんだろう、
ということを試してみるのも一つなのかな、
と思ったりもします。
私にとってはやっぱり、家族がいることで、
安心感を持って陸上に取り組めてきた、
という部分が大きくて。
その安心感があったからこそ、
これまでは結果も出せてきて、より一層、
そこに安心できていた、という面もありました。
でも今は、結果が出ない時期が続いている分、
家族がいるのに安心できない、
という感覚も出てきています。
じゃあ、家族以外の人とやることで、
より安心できるのか、というと、
それも正直、そうとは思えなくて。
むしろ、余計に孤独になってしまうんじゃないかな、
という気持ちもあります。
だから今は、どちらにも進めない状態にいる、
という感覚がすごく強いです。
— どちらにも進めない、という感覚なんですね。
田中希実選手
はい。
その中で、結局は「自分の殻を破る」とか、
「結果を出すしかない」というところに、
考えが戻ってきてしまう部分もあります。
でも、結果以外のところで言うと、
海外の選手を見ていて感じるのは、
自分自身の存在そのものに対する自信が、
一つの鍵なんじゃないか、ということです。
これまでは、
陸上が自分のアイデンティティだと思ってやってきました。
子どもの頃は、
そこまで意識していたわけではなかったのに、
気づいたら「陸上の人」になってしまっていた。
だからこそ、陸上だけじゃないところで、
自信を持てるものを見つける、
というのも一つなのかな、と思っています。
— 自分一人でも大丈夫、と思える強さを手に入れるために、安心できる、安全な環境を手放すことが、もしかすると大きなチャレンジになるのかもしれませんね。


田中 希実 選手 プロフィール
1999年9月4日生まれ。兵庫県出身。
2014年に中学生で全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に兵庫県代表として出場し、8区区間賞を獲得。翌年も8区を走り区間賞を獲得。西脇工業高校に進み、第70回国民体育大会では1500mで優勝、翌年71回大会では3000mで2位、72回大会では3000mで優勝。2015、2016、2017年は全国高校駅伝に出場。2018年都道府県対抗女子駅伝では1区を走り兵庫県の優勝に貢献。アジアジュニア選手権では3000m大会記録で金メダルを獲得。世界ジュニア選手権でも3000mで金メダルを獲得。ジュニア世代を牽引する存在として活躍を続けてきた。2020年日本選手権5000m優勝、2021年日本選手権1500m優勝。東京2020オリンピック女子1500mに出場し、日本人初決勝進出し8位入賞。2022年世界陸上では800m、1500m、5000mの3種目に出場。同9月にニューヨークで開催されたマイルロードレース5thアベニューマイルに初出場し、女性の部5位。2023年4月からプロ転向し、New Balance所属となる。2023年世界陸上では5000mで日本人では26年振りとなる8位入賞、2024年パリ五輪、2025年東京世界陸上 1500m、5000m代表、現在、オリンピック種目である1500m、5000mの日本記録を筆頭にトラック(ショート含む)、ロード含めて13個の日本記録を所持、日本陸上界を代表する存在のひとりとして、世界へチャレンジを続ける。