【ニールセン北村朋子×IIA】インタビュー後半 失敗しても絶対に怒らない国。デンマーク人が窮地でかける「魔法の言葉」
インタビュー後編をお届けします。
前編では、
北村さんが日本の教育とのギャップとして挙げた
「対話」を土台にしたデンマークの子育て・教育観を伺いました。
子どもを「指導する対象」ではなく、
対等な一人の人として扱い、
「あなたはどう思う?」「なぜそう思う?」
と問いを重ねながら、
自分で決める力を、小さな頃から育てていく。
そこにあったのは、
「子どもの思考と選択を信じて待つ」
という大人の覚悟でした。
さらに北村さんは、
デンマークの教育のポイントとして、
・大人が余計な手出し口出しをせず、見守ること
・好奇心を潰さず、問いを歓迎すること
・大人が等身大で楽しんで生きる姿を見せること
という3つを挙げます。
後編では、
その土台の上にある「怒らない文化」に焦点を当て、
失敗や窮地に直面したとき、
彼らがどんな言葉で人を支えるのか。
そして、
「休むこと」を人権として捉える感覚や、
日本の“休みづらさ”の背景にあるものまで
掘り下げていきます。
※本記事は前後編構成です。
まだ前編をご覧になっていない方は、ぜひあわせてお読みください。

ニールセン北村朋子 さん
デンマーク在住25年。現地で子育てを経験した教育著者。
『経済力も幸福度も高くなる デンマークのすごい教育』を通して、「対話」「好奇心」「等身大の大人」という3つの視点から、子どもを一人の人間として信じる教育の在り方を提案している。
失敗しても絶対に怒らない国。デンマーク人が窮地でかける「魔法の言葉」

— 北村さんは、相互に文化を翻訳しあってお互いに学び合う、文化翻訳家としてご活躍されています。日本のことを海外に発信されているお話も伺いたいのですが、今回は「デンマークから私たち日本人が学べること」について教えていただきたいと思います。日本では若者の自殺率や、子どもたちの自己肯定感・幸福度が低いことが問題視されていますよね。その対照的な位置にあるのがデンマークだと思うのですが、デンマークの文化は日本と何が違うのでしょうか。
ニールセン北村朋子さん
デンマークは、
日本と似ているところもたくさんあるんです。
私が強く感じるのは、
考え方が仏教的だということです。
私自身、仏教を1年ほど学んだことがありますが、
デンマーク人の考え方ととても近いんです。
デンマークの人はもちろん仏教を知らないんですけれど、
『諸行無常』——
「同じ状態でずっとあり続けるものは一つもない」
という感覚を、自然に理解しています。
そのうえで、
守りたい自然や教育環境があるとき、
彼らは「できることは自分たちが変わること」
だと考えるんです。
自分たちが変わることで、
変わっていく世の中でも、
変わらない“いいもの”を残していく。
とても禅的な考え方だなと思います。
そういう本質の部分は日本と近いけれど、
表に出てくる仕組みは、
違っているところがあるかもしれません。
デンマークは、着実に「形」にしようとしている。
逆に日本は、もともと持っていた仏教的な感覚が、
だんだん失われていっているのかもしれない。
そんなふうに思うこともあります。
似ている部分もあった上で、
日本とデンマークで一番違うのは、
「怒らない文化」だと思います。
— 怒らない……ですか。日本だと子育てでも、運転でも、怒ってばかりの場面が珍しくないですよね。
ニールセン北村朋子さん
デンマークでも、
政治や社会の仕組みに対して怒る人はいるんです。
でも、誰かに八つ当たりするような怒り方ではなく、
正当な形で訴えようとする人が多い。
子どもに強く怒るとか、上司が部下を怒鳴るとか、
そういう場面は日常ではほとんど見かけません。
— 怒るという感情自体が欠落しているわけではないんですよね?
ニールセン北村朋子さん
怒りの感情はあります。
ただ、「怒っても何も解決しない」
という認識が強いんです。
怒っていい気分になる人って、いませんよね。
怒った本人も嫌だし、怒られた側はもっと嫌。
周りで聞いている人も嫌な気持ちになる。
デンマークのスポーツ心理学の研究でも、
それを裏付けるような興味深いデータがあります。
例えば監督が選手を怒ったとします。
怒られた本人のパフォーマンスへの影響が
8〜9割のように大きく出るのは想像できますよね。
怒った本人にも4〜5割の影響がある。
さらに、周りで聞かされているチームメンバーにも
2~3割の影響が出ると言われているんです。
会社でも同じで、同じ部署の人たちが受ける影響がある。
だから「怒って良いことは何一つない」
という認識がまずあるんです。
— 日本の部活だと、遅刻した罰で走らされるとか、まだ普通にありますよね。
ニールセン北村朋子さん
罰を与えても、その人がやる気になるかというと、
ほぼないと思うんです。
— 「失敗しないように」「怒られないように」という意識は芽生えるかもしれないけど、隠す方向に行ってしまうことも多いですね。
ニールセン北村朋子さん
デンマークの人たちは、怒るのではなく
「なぜそれが起こったのか」を一緒に考えるんです。
例えば、私が「こうすればうまくいくはず」と
思ってやったことがうまくいかなくて、
行き詰まってしまうような状況になったとします。
そのときデンマークの友人は、
「なんでこんなことになったの?」と
責めるような顔をしません。
むしろ、さっと隣に来て、
「どうなってるのこれ?」と、好奇心で聞いてくれる。
— 非難ではなく、「どうしたらこうなったの?」という聞き方なんですね。
ニールセン北村朋子さん
そう言われると、こちらも言い訳ではなく、
状況説明をしようとするんですよね。
「こう思って、こうしようと思って、
こうやったら、なぜかこうなった」って。
でも「なんでこんなことしたの?」と責められると、
「だって…」と、どうしても言い訳になってしまう。
だから彼らは、責める側・責められる側ではなく、
横に回ってきて一緒に考える側に立ってくれるんです。
「おかしいね。なんでこうなったんだろうね」って。
そうすると、こちらも気が楽で、
「一緒に考えてくれるんだ」と思える。
状況を丁寧に説明すれば、
原因も見えてくるかもしれないですよね。
結果的に、本人も二度と同じ失敗をしにくくなるし、
聞いている側にも学びがある。
「そういう発想でやろうとする人もいるんだ」って、
おもしろがれるんですよね。
— こういうのは、誰か一人がやり始めると広がっていきそうなので、やってみる価値はありますね。
ニールセン北村朋子さん
そうですね。
デンマークの人たちが、
窮地に立たされた時やうまくいかない時に
よく使う言葉ですごくいいなと思うものがあって。
「Det skal vi nok klare」といって、
「私たちも一緒に考えるから大丈夫」
という意味なんです。
— これほど心強い言葉って、なかなかないと思います。
ニールセン北村朋子さん
日本にいた頃、弱気になって
「今こういうことで困ってるんだよね」と話すと、
「あなたはしっかりしてるから大丈夫よ」と言われて、
逆にプレッシャーになることがあったんです。
「しっかりしてないから困ってるんだけど」って。
でもデンマークだと、
「大丈夫、一緒に考えるから」と言ってくれる。
自分だけで背負わなくていいんだって、
ほっとするんです。
一緒に考えてくれる仲間がいると思えるだけで、
強くなれたりします。
彼らは口癖のように言うんですけど、
本気で言ってるんです。
ただ、言ったことを忘れることもある。
はじめのうちは、日本人的な感覚で
「社交辞令かな」と思ってしまったりもしましたが、
「あの時、一緒に考えるって言ってたよね」と伝えると、
「忘れてた!もっと早く言いなよ」って、
すぐ動いてくれたりする。
言葉のかけ方一つ、心持ち一つで、
誰かを責めたり追い詰めたりするより、
もっといい形で先に進める状況は
作れるんじゃないかなと思います。
— これまで、励ますつもりで「あなたなら大丈夫」と言ってきたけれど、自分が言われて嬉しいのは、確かに「一緒に考える」かもしれません。実際に考えてもらわなくても、味方がいると思えるだけで強くなれたりしますよね。
ニールセン北村朋子さん
そうなんですよね。
「あなたはしっかりしてるから大丈夫」って、
突き離されたように感じる人もいると思います。
できたら、寄り添って「一緒に考えよう」と
本気で言ってくれる人がいる方がいいし、
そう言える人が増えるといいなと思います。
— 日本だと「お節介」を気にする人が多いと思うのですが、どうしてデンマークだと、お節介が成り立つんでしょう?
ニールセン北村朋子さん
小さい頃からやり慣れていて、
いらないお節介もいっぱい経験してるからだと思います。
だから「別に大したことじゃない」という感覚がある。
「お節介で終わったなら、それで良かったじゃない」って。
例えば「手伝おうか」と言われたときに、
「大丈夫ですよ」と返したら、
相手は「そうなの?」って、さっといなくなる。
「手伝わなくていいなら良かった」って。
そういうやり取りがあるから、
また次も気軽に声をかけるんです。
お節介を鬱陶しく思わない、
ちょっとしたやり取りを面倒くさがらない、
そういう、心のゆとりが大事ですね。
でもそれには、やっぱり自分が疲れていたら難しい。
最初の話に戻るんですけど、
ちゃんと休めているとか、自分らしく暮らせているとか、
そういう土台が大事になってくると思います。
— 日本は「頑張っていることが美しい」といった価値観が、まだ強いですよね。休むことに罪悪感を持ってしまう人は多いと思います。デンマークは、ビジネス効率性が6年連続世界1位ですよね。「休む」への気持ちの転換って、どうしたらいいんでしょうか。
ニールセン北村朋子さん
休むとリフレッシュされますよね。
人間は動物なので、休みは必ず必要です。
ビジネスマンの方にお会いすると、
「仕事が好きだから休みはいらない」
とおっしゃる方が本当に多いんです。
仕事が好きなのは素晴らしい。
でも、それは「休まなくていい」と同義ではない。
限りある肉体を持っている以上、
体にも心にも休みは必要です。
好きだからこそ休む。
その発想が必要だと思います。
— 忙しく働いている方ほど、休みに何をしていいかわからないというのもあると思うんですけど、デンマークの方たちは休みに何をしているのでしょうか?
ニールセン北村朋子さん
本当に人それぞれです。
長い休暇じゃないとできないことをする人もいるし、
旅に出る人もいる。
夏休みは3週間取る人もいます。
ただ3週間旅に出るとお金もかかるから、
そういう人ばかりでもなくて。
例えば、
子どもと一緒に庭にテントを張って、庭で寝るとか。
そうやって、ちょっとした非日常、
日常からの脱却の時間を味わうんです。
長い散歩に行ったり、サイクリング、釣り、ボードゲーム。
冬は特にボードゲームが多いですね。
凝った料理を作ることもよくあります。
ダラダラするのも、
「休みなんだからダラダラする時間もあっていいよね」
という感覚です。
日本だと「ダラダラする」って
悪いことみたいに思ってしまうけれど、
休みは自由なんです。
「何をしていいかわからない」というのは、
休みにも“正解”を求めてしまっているのかもしれません。
「どういう休み方をするのが
イケてるビジネスマンなんだろう」とか、
「休み明けに活躍できるように
本をたくさん読んでおこう」とか。
— 「有意義な休み方」とか。
ニールセン北村朋子さん
そうそう。
でも、そんなもの忘れていい。
むしろ仕事から遠ざかるほど、
仕事のアイデアは浮かぶって、
デンマークの人たちはよく言います。
長く休むと満足感があるので、
また仕事が楽しみになるんです。
1週間みたいな短い休みだと、
最初の2日くらいは仕事のことを考えていて、
やっと休みに入ったと思ったら、
もう終わりが見えてしまう。
フルで休めた感覚がなくて、逆に疲れることもある。
— 「仕事がしたい」「勉強がしたい」と思えるくらい休むということですね。
ニールセン北村朋子さん
そういう感覚になるくらい休む、
ということが大事なんだと思います。
休むことは、当たり前の権利なので。
毎日の中で自分の自由時間があること、
睡眠時間を確保できることも、
世界人権宣言で謳われている基本的な人権です。
遠慮する必要はありませんし、
言い訳もいらない。
— 理由を伝えるのは社会人のマナーだと思っていました。
ニールセン北村朋子さん
理由は言わなくていいと思います。
「いつ休むか」は、
マナーとして調整した方がいいですが、
「なんで休むか」という理由はプライバシーなので、
伝えなくていいと思います。
人権として認められていること自体は、
情報としては世の中に出ていると思うんです。
でも実生活の中で、
「それが当たり前なんだ」という感覚が、
きちんと落とし込まれる仕組みになってこなかった。
そこが大きいと思います。
休むことは「普通に人権」なんです。
逆に言えば、
「なんで休むんですか」
「休む理由を書かないと休ませません」
といった扱いは、人権侵害になり得る。
それは人事の方なら皆さん分かっているはずなんです。
だからこそ、もっと大手を振って休みを取ってほしい。
理由を言わずに、堂々と休んでいいんです。
— こうして話を聞いてみると、私たちが当たり前だと思っていたこととは逆のことが、実は当たり前だったりするんですよね。あらためて、自分たちがとても狭い世界の中で考えていたのかもしれない、と気づかされます。
ニールセン北村朋子さん
そもそも「休む理由」を聞くこと自体、
何のためなんでしょうね。
よく考えると、
その理由が「ダメです」と
言える権限は誰にもないんです。
休暇は法律で認められている権利なので、
「その理由では却下です」ということは
本来ありえません。
休むことは正当な権利です。
理由に正当も不当もない。
「ダラダラしたいから休む」でも、
もちろん構わないんです。
人生が100年と言われる時代だからこそ、
何もしないでゆっくりする時間も、
きっと必要なんじゃないかなと思います。
— 休む理由のほかにも、「これは日本にいらないな」と思うものはありますか?
ニールセン北村朋子さん
いろんな企業さんや厚労省とも
ワークショップをしてきて感じたのが、
「なぜ休むことにこれほど罪悪感があるのか」
という点です。
それで思い当たったのが、夏休みの宿題でした。
日本の人は、小学校1年生から
夏休みの宿題がある環境で育ってきている。
つまり、課題がなくて休んだ経験がないんですよ。
だから、休みは“苦痛”とセットになっていて、
「それをこなさないと休ませないぞ」という
感覚が刷り込まれているんじゃないかと思います。
でも夏休みの宿題って、
よく考えると誰のためにもなっていない。
漢字ドリルも「作業」になってしまって、
「学び」ではなくなる。
親が手伝うこともあるし、親も大変。
先生も大変。
ちゃんとやってこない子もいるのに、
採点して「よくできました」と書く。
それって、すごく無駄な作業に
なってしまうこともあると思うんです。
— 学業が深まることにはなっていないのでしょうか?
ニールセン北村朋子さん
深まってないと思います。
だったらやめた方がいい。
むしろ「ちゃんと休むこと」を
子どもの時から学べる機会が必要だと思います。
だから私は、3年くらい前から密かに
「夏休みの宿題撲滅運動」をやっています(笑)。
— 全国の小学生から支持を得そうですね。
ニールセン北村朋子さん
先生や親からすると、
微妙かもしれないけれど(笑)。
でも「休みは自由に自分で使っていい」という経験を
小さい頃からするのは本当に大事なことです。
面倒だと思っている子どもも、
親も、先生も救えると思うんです。
— 今は子どもたちが丸つけして提出することもあります。先生の手間を省くために、答えをもらって写せちゃう。
ニールセン北村朋子さん
もう意味がないですよね。
だから、やめたらいいと思います。
その時間が、子どもが本当に好きなこと、
やってみたいことに使える時間になればいい。
読みたい本があれば読めばいいし、
実験や観察をしたければやればいい。
でもそれは万人共通ではないから、
それぞれが「自分のやりたいこと」を
見つける時間になったらいいと思います。
デンマークではみんな、そうしています。
— 宿題がなくなったとして、大人は夏休みの子どもたちとどう過ごせばいいでしょう?
ニールセン北村朋子さん
夏休みに入る前に、子どもと相談して
「どう過ごしたいか」を決めるといいと思います。
家族会議をしてみるといいんじゃないかな。
「どこに行きたい」
「何を体験してみたい」
「家でダラダラする時間も欲しい」
「キャンプ飯を作ってみたい」——
いろいろあると思います。
子どもたちは、
自分も参加して決めたことには責任が生じる、
ということを理解するようになります。
だから、夏休みの過ごし方も、
子どもと一緒に相談して決めるのが
いいんじゃないかなと思います。
デンマークでは、
だいたいそうしている家庭が多いですね。
— 親からすると「ちょっと面倒だな」と感じるかもしれません。でも、大人になって何がつまらなくなるかというと、新しい経験が少なくなることだと思うんです。その意味では、子どもから「こんなことをやってみたい」と提案してもらえるのは、むしろいいことですよね。
ニールセン北村朋子さん
そうですね。
子どもは、自分も加わって決めたことなら、
思い出にも残りやすいですし、
親の側も、計画を立てやすくなると思います。
— 「夏休み宿題撲滅」が実現している未来、楽しみですね。
ニールセン北村朋子さん
ステッカー作りたいんですよ(笑)。
まだいいデザインが思い浮かばなくて作れてないですが、
今年は絶対作ろうと思っています。
— 小学生みんなランドセルに貼りますね。楽しみにしています。ありがとうございました。
ニールセン北村朋子さん
ありがとうございました。

ニールセン北村朋子さん プロフィール
デンマーク在住25年。 現地で子育てを経験しながら、日本とデンマークの教育・社会の違いを見つめ続けてきた。日本で生まれ育ち、「親の言うことは絶対」という価値観の中で教育を受けた自身の原体験を出発点に、デンマークで当たり前とされる「対話」と「対等な関係性」に強い衝撃を受ける。
幼児期から子どもに意思決定を委ね、意見の違いを対話で調整していく文化。質問を拒絶せず、好奇心を伸ばす大人たちの姿勢。さらに、大人自身が等身大で人生を楽しむことが、子どもや若者の未来像を明るくするという視点——。
そうした気づきをもとに、『経済力も幸福度も高くなる デンマークのすごい教育』を執筆。
「子どもをどう育てるか」だけでなく、「大人はどう在るべきか」という問いを、教育の現場と暮らしの実感から投げかけている。